祭り、と聞いてワクワクする、と言うのは多分日本人の多くの人が感じるものだと思います。
では、なぜ、祭りが日本の生活に浸透してきたのでしょうか。
これは、日本の自然とともに、人と人の繋がりが生み出した部分も大きいと思います。
この記事では、大阪の成田山新勝寺別院の節分祭りの情報を紹介しています。
芸能人が多く参加する、話題性の高い祭りとはどう言ったものなのでしょう。
成田山不動尊の節分祭りとは
知っておきたい祭りの概要
テレビでも話題に上がる、成田山不動尊の節分。芸能人やスポーツ選手などの有名人がたくさん参加するので、話題に事欠きません。
成田山の節分では、交通安全と開運厄除繁栄隆昌を祈ることになっています。また、豆まきを行う時、「鬼は外」は言いません。
なぜ、「福は内」しかいわないのか、それは、お不動様の慈悲があまりにも大きいので、その前では鬼も鬼でなくなると言うことからだそうです。
成田山不動尊の節分祭りの歴史
成田山不動尊の由来
まず、成田山の名前は「大本山成田山新勝寺」です。その起源は平将門の乱に遡ります。
その戦のおりに、大本山成田山新勝寺の開祖である寛朝大僧正が、本尊と一緒に、海路で大阪の地を出発したそうです。
本尊は不動明王で、関東まで参上した寛朝大僧正が、護摩法を執り行い、不動明王の霊験によって乱を平定したそうです。
その功績によって開山することになり、鎮座されたのが、千葉県成田にある大本山成田山新勝寺なんですね。
と言うわけで、関西の大本山成田山新勝寺も信仰対象として古く、明治時代からは信徒がさらに増加しました。
大正時代には、千日前にある水かけ不動のそばに、成田山不動堂があったといわれています。
そう言う歴史があって、開発の遅れていた香里の地に守護神として、霊験あらたかな成田山の不動明王をお祀りする事になったそうです。
そして、昭和9年に京阪電気鉄道株式会社から境内地と堂宇が寄進されました。
そこに、大本山成田山新勝寺のご本尊不動明王のご分霊を勧請し、遂に関西に成田山大阪別院明王院、いわゆる成田山不動尊が誕生したと言うわけです。
成田山不動尊の節分祭り
節分は立春、立夏、立秋、立冬の前日の事を言います。したがって年に4回あるわけです。
農耕国家である日本では、毎年の春の到来はその年の景気を左右と言う重要性があったために、特に春の節分が重要視されたのです。
また、この日から立春にかけてが本格的な一年の始めとして位置付けられたといわれています。
成田山不動尊では、境内に全長150mの舞台を設けます。そして、中央には日本一の大きさの千升大福枡を設置します。
そこでは開運厄除けとともに交通安全を祈る豆まき式を行うのです。交通関係諸団体や関西政財界人、有名芸能人などが年男として参加することになっています。
成田山不動尊の節分祭りの開催時期
様々な行事の日程
節分は毎年2月3日です。
追儺豆まき式
10:30~ / 13:00~ / 15:00~の3回行われます。
これは、成田山古来から受け継がれている儀式によって豆まき式を行うそうです。
追儺と言うのは、暦の上で本格的に春を迎えるであろう立春の前日に、全ての難を払おうという意味だそうです。
春の門出に向けて、それぞれが一年の幸せを願うとともに全ての人々の平和と安穏を願う儀式となっています。
古式にのっとってかみしもを着用し、護摩供法要に参列、本尊不動明王の宝前で開運厄除け祈願をし、その後に境内に特別に設置した舞台に移動して、豆まきをします。
午前10時30分からの豆まき役は招待者のみで、一般の人は参加できません。
招福豆まき式
12:00~ / 14:00~の2回行われます。
この豆まきは誰でも気軽に参加できるものです。陣羽織を身にまとって舞台から豆をまきます。
参加資格もなく、福豆をまくことで一年間の福を授かることになっています。
成田山不動尊の節分祭りの見どころ
一度は参加してみたい豆まき
成田山の豆まきは、多くの著名人が、豆まきに参加することで有名です。
古来より伝わる儀式によって、千升大福枡が設置された全長150mの舞台上から、交通安全を祈る豆まき式が開催されるのです。
本格的な春である立春の前日に、すべての難を払う意味で豆がまかれます。
また、不動明王の大きな慈悲の前では、すべての鬼も改心するという言い伝えから、成田山では「鬼は外」は言いません。
「福は内」とだけ唱えるのが約束なんですね。
追儺豆まき式と、福豆をまく招福豆まき式が行われます。こちらは誰でも気軽に参加できるそうです。