一生に一度は善光寺参りの意味、牛に引かれて善光寺参りの由来とは? - 桃色の雫
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一生に一度は善光寺参りの意味、牛に引かれて善光寺参りの由来とは?

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長野県にあるお寺といえば、やはり善光寺を思い浮かべるのではないでしょうか。

実は、善光寺はどこの宗派にも属さない無宗派なんですね。

ところが、それのおかげで、あらゆる人に門戸が開けられているわけです。

この記事では、善光寺参りの歴史や「牛に引かれて善光寺参り」の由来などを紹介しています。

一生に一度は善光寺参り、ということで、長野県に行ったら一度はお参りしてみてください。

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江戸時代に広まった善光寺参り

『牛に引かれて善光寺参り』は“信心のない女性にもお慈悲を”

江戸時代、善光寺信仰の広まりとともに全国に知られるところとなった、善光寺の有名な昔話です。

昔、信濃の国小諸に、欲深い老婆が住んでいました。ある日、川で布を洗濯して軒先で乾かしていると、どこからか牛が一頭やってきてその角に布をひっかけて走り去ってしまいました。

怒りながらその牛を追いかけて行くと、いつの間にか善光寺の金堂前まで来てしまいました。

日が暮れて牛が入っていったお堂に入ってみると、善光寺の仏様の光明が老婆を照らし、足下に垂れた牛の涎(よだれ)が文字のように見えました。

「牛とのみ 思いすごすな 仏の道に 汝を導く 己の心を」と読めました。老婆は菩提の心(仏さまを信じて覚りを求める心)を起こし、家に帰ってこの世の無常を嘆き悲しみながら暮らしました。

後日、たまたま近くの観音堂にお参りしたところ、堂内の観音様の足下に布がかけてありました。それを見た老婆は、あの時牛に見えたものはこの観音菩薩様の化身であったのだと気づき、ますます善光寺の仏さまを信じて、極楽往生を遂げました。

この観音様こそが小諸の布引観音だったと言われています。こうした伝えからから、思いがけず他人に連れられてある場所へ出かけること、また、自分の意志からではなく、他人に誘われてよい方に導かれることのたとえとなっています。

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善光寺とは??

「一生に一度は善光寺詣り」

善光寺は長野県長野市元善町にある、どこの宗派にも属さない無宗派の単立寺院です。

約1400年前に創建され、まだ仏教の宗派ができる前に開山されたお寺であり、誰でもお参りできる門戸の開かれたお寺です。

本堂が国宝に指定されており、信州を代表する観光名所でもあります。住職は大勧進貫主と大本願上人の両名が務めます。

日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を御本尊とし、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになりました。極楽往生が叶うといわれているありがたいお寺です。

善光寺のイベント

一度は体験してみたい!!

善光寺の本堂では一年を通して数多くの法要が営まれます。「お朝事(あさじ)」といわれる「御朝事法要」は日の出とともに本堂で始まります。

善光寺全山の僧侶が出仕して努める厳かな法要で、365日毎朝欠かさず行われます。

かつては「お籠り朝詣で」といわれ、全国からの参詣者が本堂で一夜を明かし、翌朝のお朝事にそのまま参列することが一般的でした。

お朝事の前後には、法要の導師を務める善光寺住職(男性のお貫主さま、女性のお上人さま)が本堂を往復する際、参道にひざまずく信徒の頭を数珠で撫でて功徳をお授けになる「お数珠頂戴」の儀式があります。

また、お朝事では、参詣者から寄せられた御祈願やご供養のご回向も行っています。

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