生活と結びついていたお月見
豊かな実りの象徴としての十五夜
お月見の風習は唐から伝わったといわれています。上流社会から次第に民間に広がっていったのです。
昔は、月の満ち欠けが暮らしや農作業にとても深くかかわっていたのです。豊かな恵みをもたらす自然と、それを支える暦としての月が結びついたのです。
そこから、農作物の収穫、結実を感謝する日となって、生命をつないできた祖霊への祈りの日にもなったといわれています。
お月見にお供えをするわけ
信仰の対象としても大切な月
昔の人にとって、月は農耕生活を支える重要なものであったがゆえに、信仰の対象としても存在していました。
そのために、お月見にお供えものをするのは、当たり前のことだったと考えられます。また、十五夜、十三夜、十日夜を3月見とよび、収穫に感謝するお祭りを行いました。
そこで収穫物をお月様にお供えするようになったと考えられます。穀物の収穫に感謝し、収穫した米を粉にして丸めて作ったのが月見団子なのです。
満月をあらわす月見団子は結実の象徴でした。月と同じように丸いだんごをお供えして、それを食べることが、健康と幸せにつながる、と考えたわけです。
中秋の名月とは
十五夜に月見をするわけ
月見でおなじみの十五夜は、歌でも有名です。旧暦8月15日は満月でこれを中秋の名月と呼びました。
中秋とは秋の真ん中という意味です。旧暦では7月から9月が秋にあたるので、そのまんなかである、8月15日の十五夜に月見をする風習が広がったと言われています。
もともと、中秋の名月の祭りは中国から伝わってきたものです。日本では平安朝以降に貴族の間で盛んなっていったといわれています。
江戸時代になって一般庶民の間でも広く行われるようになります。そして、次第に現在の形に変化していったのです。
お月見に供える物は?
お団子のほかにも供えるものがある
里芋
「芋名月」の由来となったのが里芋です。十五夜は別名で芋名月ともいうそうです。それは、里芋などの芋類の収穫を祝う行事でもあったためです。
しばらくお供えしたら、食べてもいいそうです。供えたものを下げて頂くことで、神様と強く結びつくと考えられているようです。
ススキ
ススキには月の神様が宿るといわれています。それは、ススキを稲穂に見立てたからだそうです。
また、ススキの鋭い切り口が魔除けになるといわれています。お月見が終わってから、軒先に吊るしておく風習があります。