大衆演劇の魅力に取り憑かれた方々や、大衆演劇の独特な雰囲気に魅かれる方々が、意外と多いのではないでしょうか。大衆演劇には、特別な存在として扱われる人気役者に対して、公演の際にお祝儀を渡すという独自の習慣があります。
実は、この習慣は江戸時代の旅役者の文化が起源であり、長い歴史を持っています。この記事では、大衆演劇の歴史や観劇できる場所、最近の人気状況、そしておひねりというお祝儀の意味について紹介しています。大衆演劇に対する興味を深め、一層の楽しみを見出す手助けとなるでしょう。
大衆演劇とはどんな劇団か
大衆演劇が見られる場所
みなさん、大衆演劇はご存知でしょうか。はじめに大衆演劇との歴史について見て見ましょう。
大衆演劇とは、日本の演劇におけるジャンルの一つで、一般大衆を観客とする庶民的な演劇のことを言います。
一般的には「旅役者」と呼ばれ江戸時代から始まり現在までに多くの方の楽しみの1つとなっているのが大衆演劇なのです。
大衆演劇は数名から数十名の劇団で、主催者は座長とよばれ、一座の多くが、家族で行なっているところが多く1歳から3歳ほどの幼い頃に初舞台を踏みます。
最近はあまり見かけなくなりましたが専用の芝居小屋での公演や、地方での温泉宿やホテルのホールや大広間での公演もあります。大衆演劇の舞台は、芝居とショーの二部から三部構成で演じられます。
大衆演劇のお客が若返っている
若い女性や外国人観光客が増加
大衆演劇の一座は、家族を中心としています。その一座は全国の施設を回って、時代劇や舞踊ショーを行うわけです。
この旅芸人の一座は、各地の劇場や地方の温泉施設などの舞台を回ります。そこで恒例の時代劇芝居と舞踊ショーを行うのです。
この起源は一説によると、江戸時代に始まったとされ、昭和初期の全盛期には全国で約600の劇場があったそうです。
しかし、テレビの普及とともに昭和30年代ごろから人気が衰退します。昭和40年代には専用の劇場も潰れていきました。
最近、その大衆演劇が、若い女性や外国人観光客から人気を集めているそうです。
全国には約50の劇場があるそうで、そのうち半数以上が関西に集まっています。ということは、関西での人気が鍵を握っているようです。
その中身といえば、若者を対象にした音楽を取り入れたショーとか、派手な演出の内容です。そこには、高齢者相手の娯楽といった過去のイメージは見えてきません。
舞台は赤や青、白にライトアップされて、役者は美しく化粧をします。そして、きらびやかな着物を身にまとって男性役者が女形を演じます。
一座を追っかけしている人も、若い人が増え、全国を巡るといいます。若い世代に合わせた演目も多く、若者でも飽きずに楽しめる内容になっているようです。
都会でも人気を取り戻した大衆演劇
清潔で明るい雰囲気が人気に
梅田呉服座という大阪・梅田の劇場があります。オフィス街にあった映画館の跡地に誕生しました。都会に大衆演劇は向かないなどといわれたものですが、清潔で明るい舞台にして、雰囲気を変え、子供づれでも安心して来れるように、ベビーカーを預かるなどのサービスを始めました。
夜の部は午後6時にスタートし、学生や仕事帰りでも見にこれるようにし、チケットも安くしたのです。
結果、観客数は増加し、その9割が女性という状態になりました。
さらに、中国や台湾などの団体ツアー客が来やすいように、旅行会社と提携しました。外国人は、買い物などの合間に訪れ、舞踊ショーがお目当てだとか。