知っておきたい、大衆演劇の歴史
ずっと昔の話から
もともと大衆演劇は歌舞伎の影響を受けています。その歌舞伎そのもののルーツが、出雲の阿国だと言われているのです。
出雲の阿国は、出雲大社の巫女の出身の女性です。1596~1615のころに、京都で歌舞伎踊りを始めたとい割れています。
そういうわけで、阿国は歌舞伎の祖とされているのです。
この出雲の阿国などの、芸能を職業とする人は「旅芸人」と呼ばれていました。そして古来より諸国を巡業して公演して、生計を立てていたといわれています。
歌舞伎の小屋の誕生
大芝居と小芝居、旅芝居
江戸時代になると、歌舞伎が常設の小屋を持ち始めます。
幕府が、江戸や大阪、京都にあったいくつかの劇場を官許と行って公に認めることにしたんです。
そこで行われる芝居を「大芝居」と呼び、これが日本の芸能の中心となっていきます。それに対して、寺社境内などで行われる芝居は「小芝居」と呼ばれます。
さらに「小芝居」に加えて、地方を巡演する「旅芝居」がありました。これらの芝居では芸のレベルや洗練さに隔たりがありました。
明治政府や松竹と行った組織によって手厚い保護を受けたのが「大芝居」です。これは国劇と呼ばれるようになり、発展していきます。
大芝居は大歌舞伎と呼ばれるようになり、小芝居は中歌舞伎という呼び名で呼ばれるようになります。
その後、旅芝居の役者、さらに大歌舞伎で力を発揮できなかった役者たちが離合集散を繰り返し、中歌舞伎が発展して行ったのです。