ナイキの本社はアメリカのオレゴン州です。今や、世界有数というよりもトップブランドとして成長しました。
いまや、ナイキのスニーカーやスポーツウェアのスポーツ界での存在感は半端じゃないです。
じつは、1964年に起業したとき、創業者であるフィリップ・ナイトはスタンフォード大学の学生でした。
さて、どのようにして、あのナイキが出来上がって行ったのか、ブランド完成への道のりを紹介していきます。
エアマックスで確立したブランド
スニーカー人気の火付け役に
オレゴン大学で陸上コーチをしていたビル・バウワーマンと一緒にナイキの前身である、ブルーリボンスポーツ社を設立したのです。
創業当初、日本からオニツカタイガー、現在のアシックスですね。そこのランニングシューズを輸入して、アメリカで販売していたそうです。
そして、1972年から自社生産のスニーカーを販売したのです。その後、1979年に発売したエアマックスのヒットで、ついにトップブランドの仲間入りを果たすわけです。
ナイキという社名の由来は、ギリシャ神話に登場する勝利の女神からだそうです。ギリシャ語では、「ニケ=Nike」となるそうで、ナイキという呼び名は、その英語読みです。
ロゴマークの由来
ビューンと音が鳴る、スウッシュ
ナイキのロゴは1971年に商標登録されました。あのロゴマークにもスウッシュ =Swooshという名前がついていて、ビューンと音をさせるといった意味だそうです。
あのデザインが生まれた話は結構有名で、ポートランド州立大学でグラフィックデザインを専攻していた学生のキャロライン・デビッドソンの作品です。
フィリップ・ナイトは、キャロライン・デビッドソンの提出したいくつかのロゴがあまり気に入らなかったのですが、仕方なくこのロゴを選んだのだとか。
それも、印刷の都合で、早くロゴを決めなければならなかったという、何ともちっぽけな理由だったわけです。
そして、このロゴに対する報酬は、わずか35ドル=約5,000円だったそうです。
ナイキ創業者フィル・ナイトの自伝
とてもスリリングで人間くさい
ナイキ創業者フィル・ナイトの自伝『SHOE DOG(シュードッグ)』です。創業から上場までの葛藤や失敗を描いています。
成功した経営者が書いたビジネス書ですが、全く自慢めいたところはありません。どちらかと言えば、劣等感を持った人間味のある作品です。
現在、世界のシューズ業界ではナイキとアディダスが2強になっています。トップはナイキです。
革新性を重んじることで、機能に加えて、素材や商品のコンセプトにもどんどんと新しいアイデアを加えてきました。
また、フューチャーズ・プログラムという販売方法はナイキが作り出した物で、納品の約1年前に開催する展示会で小売店がシューズを発注するフューチャーオーダー制です。
あくまでアスリート目線
アスリートが求めているもの
大衆に迎合しているのではなく、アスリートの目線で、最もそのスポーツに適したものを作るという思想がナイキにはあります。
会社のミーティングでも、つねに変化していかなければならないということを大切にしていると聞きます。
そういった哲学を、管理職から一般の社員まで共有しているのがナイキという会社だと言うことです。
まず、アスリートにシューズを提供します。そこで徹底的に意見を聞き、改善点を見つけ、それを提供してを繰り返すわけです。
そんな地道な努力の結果、アスリートの声に応える確かな技術が確立されていったわけです。