将棋は、古代インドのチャトランガというゲームが起源だという説が有力だそうです。
いつ誕生したかについては諸説があって、はっきりしません。
ヨーロッパやアジアの各地に広がって、さまざまな遊戯に変化していきました。
西洋のチェス、中国のシャンチー、朝鮮半島のチャンギ、タイのマークルック、そして日本の将棋です。
この記事では、将棋の起源と歴史、ルールとタイトル戦を紹介しています。
将棋の歴史とひろまり
将棋の起源
将棋が日本への伝来した時期についてはさまざまな説があります。
時期も、はっきりしていませんし、伝来ルートもインド~中国~朝鮮~日本という説と、インド~東南アジア~日本の説があるそうです。
将棋の歴史
古い文献や出土した駒の年代から推測すると、平安時代の11世紀初めには貴族の間で将棋が遊ばれていたことがわかっています。
平安~鎌倉~室町時代にかけての将棋は、現在の将棋の型である盤面九×九、駒数が四十枚とは違っていたことがわかっています。
大将棋
盤面15×15、駒数192枚
中将棋
盤面12×12、駒数92二枚
大々将棋
盤面17×17、駒数192枚
摩訶大々将棋
盤面19×19、駒数192枚)
泰将棋
盤面25×25、駒数354枚
といった将棋で、現在のような型になったのは16世紀後半以降だといわれています。
江戸時代に入ると、幕府に将棋所が設けられました。8代将軍吉宗の頃からは、毎年11月17日に御城将棋が開かれていたそうです。
現在もそれにちなんで、昭和50年より、11月17日を将棋の日と制定しました。
現代将棋の持ち駒ルール
相手から取った駒の再使用
将棋は、時代とともに、工夫されて行きます。マス目を増やしたり、駒の種類を増やしたりして、ルールを改めていくわけです。
13世紀ごろには平安大将棋に駒数を増やした大将棋が生まれます。また、大将棋の飛車・角行・醉象を平安将棋に取り入れた小将棋も考案されたようです。
14世紀ごろには複雑になりすぎた大将棋のルールを簡略化した中将棋が考案されます。そして、15~16世紀には小将棋から醉象がなくなって現在の本将棋が誕生します。
この時期に相手側から取った駒が自分側の駒として盤上に打てるというルール、つまり持ち駒ルールができました。
この持ち駒の起源は、小将棋や本将棋で、駒の取り捨てでは勝負がつかなくなってしまうので、取った相手の駒を自分の持ち駒として使えるようにしたようです。
この日本独自の持ち駒使用ルールができて、将棋がさらに複雑で、奥が深くなっていくわけです。
将棋の8大タイトル
見逃せない頂上決戦
現在タイトル戦は七つあります。その中でも、歴史が古い「名人戦」と、優勝賞金が最も高い「竜王戦」の格式は他よりも高いとされているそうです
なお、七大タイトルは「名人」「竜王」「王将」「王座」「王位」「棋聖」「棋王」「叡王」で、それぞれ新聞社が主催しているそうです。
いずれのタイトル戦も1年に1期行われ、最終的には、タイトル保持者と対戦する挑戦手合が行われることになっています。
各タイトル戦の序列とは?
竜王戦と名人戦の微妙な序列
歴史的には名人戦が圧倒的に格が上だと言われています。しかし、賞金額の面から竜王戦がナンバー1であるということになっているそうです。
というわけで、日本将棋連盟の棋戦情報ページでも、竜王戦が一番上にあり、その下に名人戦という並びになっているんですね。
また、棋聖戦はもともとは序列3位だったのですが、賞金額が減額されてしまい、現在は一番下のランクになってしまっています。
賞金額は公表されていないので、あくまでも「推定」の賞金額です。
・竜王戦 ・・・ 4200万円
・名人戦 ・・・ 2000万円
・叡王戦 ・・・ 不明
・王位戦 ・・・ 1000万円
・王座戦 ・・・ 800万円
・棋王戦 ・・・ 600万円
・王将戦 ・・・ 300万円
・棋聖戦 ・・・ 300万円