正午とは?
1日の区切りの経緯
明治以前は、時間を表すのに十二支を使っていました。真夜中の0時を「子(ね)の刻」とし、二時間ごとに「丑(うし)の刻」「寅(とら)の刻」・・・と呼びました。
お昼の12時は「午(うま)の刻」の中間にあたり、ここから「正午」と言われるようになりました。
逆に深夜の12時は「正子(しょうし)」今でいう夜の0時にあたります。
そして正午を境にしてその前の時間帯である「子の刻」から「午の刻」までを「午前」、正午の後時間帯「午の刻」から「子の刻」までが「午後」になります。
英語では午前と午後をそれぞれante meridian/post meridianといい、ラテン語の原形はそれぞれante meridiem/post meridiemになります。
anteは前、postは後を表し、diem はdayで日あるいは日中を表します。
meridiemはmiddayで昼の真ん中を意味するので、1日の中央の前、または後という意味になり、それぞれ略すとa.m./p.m.となります。
午前と午後は単に1日の前半と後半を示すだけでなく、12時間制で0時から12時までの時刻と組み合わせて時刻を表します。
ここが原点!
きちんと定められていました
明治5年11月9日に出された太政官布告第337号(改暦ノ布告)に、定時法と午前・午後の概念を採用する趣旨の記述があります。
太政官布告は、太陰暦から太陽暦に改めたものとして知られているものです。
内容は「時刻はこれまで昼夜長短に従ってそれぞれを12等分してきたが、今後は時計の時刻を昼夜24等分し、子の刻から午の刻までを12時に分けて午前幾時、午の刻から子の刻までを12時に分けて午後幾時と称する」とあります。
この太政官布告は現在も法令として有効であるとされています。
1日24時間を12時間ずつ分けたのか
昔の人は偉かった
時間は地球の回転、地球の自転を基準にして決められたものです。地球は回転し、この時1回転するのにかかる時間を1日と決めました。
時計のない大昔は1日の時間をはかるために星を使いました。ある星がまったく同じところに再びやってくるまでの時間を1日と決めました。
これをなぜ1日と決めたかは一番自然だったからのようです。1日の時間が決まると、その時間をいくつに分けるか、現在1日の時間は24に分けられています。
24という数字は、12を2倍にしたものです。人間は月の満ち欠けをみて30日ほどで元に戻ることを知り、1か月を約30日としました。
この約30日満ち欠けを繰り返す月が12回満ち欠けを繰り返すと1年になります。そこで12という数字は非常に重要なものとなりました。
そして時刻を決めるとき、1日をいくつに分けるかとなった時に12を使い、1日を夜と昼に分けて、それぞれを12に分ける方法をとり、昼は12時間、夜は12時間で1日24時間になったというわけです。
自然の摂理というのは、本当にすごいですね。