豆を加えてつくる「豆しとぎ」食べたことありますか?
その伝統料理が残っているのは、しばしば冷害に見舞われた東北地方、米が貴重であった南部地方なんです。
米の収穫量が少なく、貴重だったために、かさ増しに豆を使ったものが始まりだと言われています。
この記事では、豆しとぎの由来と歴史、そして、家でも作れるレシピを紹介しています。
この、お餅に似た伝統食をお家で作って見ませんか。
豆しとぎとはどんな料理
かつては全国的な食べ物
「しとぎ」というのは、米をつぶして、粉にして作ったおもちのような食べ物のことです。これは、現在のもちの原型といわれており、古くは神前のお供えものとして欠かせない存在だったそうです。
この食べ物は、かつては全国的に食べられていたようです。しかし、いまや、この伝統食は、北東北の八戸や岩手地方と九州地方のごく一部だけにだけ、生き続けているということです。
青森県でも、米どころの津軽地方では、しとぎといえば米粉を使った餅のことをいい、甘いあんこも入っているようです。
しかし、南部地方で、しとぎといえば、一般にこの「豆しとぎ」のことを指すようです。しかも、あんこは使いません。
豆しとぎの由来
土地それぞれに伝わる伝統の味
豆しとぎは、三八上北、岩手県北地域で食べられている、米粉につぶした豆を混ぜて作った餅のような、おやつのことをです。
この豆には、青豆を使うのが標準だそうです。その鮮やかな青さがとても際立っています。土地によっては、黒豆を使うそうです
豆しとぎも、今でこそ年中食べられますが、昔は豆の保存が利かないので、12月から3月までの寒い時期にしか作らなかったということです。
作り方がシンプルなせいで、素材によって味や食感が大きく変わるそうです。米粉と言いながら、もち米を混ぜることもあるみたいです。
さらに、製粉の具合によって舌触りが変わってきます。使う豆も砕く大きさが荒いか細かいかで口当たりが全く違って来るそうです。
豆しとぎの歴史と意味
神前に供える貴重な食べ物
現代では、しとぎは九州と東北でしか見られませんが、これは米粉を使った、もちのような食べ物を指した名称のことです。
しかし、豆しとぎは、津軽でも南部地方だけに見られる特徴的な食べ物だと言われています。
なぜ、豆を使うようになったのか、理由ははっきりしないそうです。おそらく、津軽地方に比べると、米の収穫量が少なかったために、かさ増しに豆を使ったものが始まりと考えらているようです。
さらに、豆しとぎは12月のえびす様や大黒様、山の神様の歳取りといった場面で神前に供える、ハレの日の料理だったということです。
豆しとぎの作り方
豆しとぎ
材料
(10人分)
・青豆1合
・うるち米の粉(上新粉)約300g
・砂糖80g
・塩少々
作り方
豆を一晩水に浸す。
・塩少々を加えた湯で食べられるくらいにゆで、ざるに上げ水をきる。
・煮汁はとっておく。
・米粉は生でもいいが、から煎りしてもよい。
・豆の薄皮を取ってすり鉢でつぶし、形がなくなったら、少しずつ米粉と砂糖を加え、こねる。
・ゆで汁を加え、硬さを整え、かまぼこ形にし、熱さ1cm程度に切り分ける。