ズバリ、博多の山笠の見どころといえば、追い山です。
あの迫力、クライマックスにふさわしい、見事な行事だというしかありません。
この記事では、博多祇園山笠の歴史から祭の仕組みまで紹介しています。
やはり、生で見ないと本当の迫力は絶対にわからないと思います。
博多祇園山笠は770年以上の歴史
櫛田神社の山笠神事として発展
博多祇園山笠は、770年以上の歴史をもち、国の重要無形民俗文化財にも指定されている祭りです。2016年11月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。
山笠行事は7月1日から15日まで続きます。そして、最終日の15日、クライマックスとなる追い山が行われます。
やはり、一番観光客も多いのが、この追い山ですね。水法被に締め込み姿の男の人たちが午前4時59分、「ドン」という太鼓の音を合図に一番山笠が動かします。
「ヤー」と気合を入れて「櫛田入り」を行います。境内をぐるっと回って一度山笠を止めると、「博多祝い唄」を歌います。
その後、5分ごとに次々と各流が櫛田入りします。山笠は「オイサ、オイサ」のかけ声とともに神社を飛び出していきます。
勢い水と汗でずぶぬれになりながら、約5キロ先にある博多区の廻り止めを目指して疾走します。廻り止めに各流が到着するたびに歓声が上がります。
博多祇園山笠の起源と歴史
災厄除去の祇園信仰
その起源には、いろいろな説があるそうです。ただ、一般的な伝承では、1241年、聖一国師が疫病除去を願って始めたとされています。
それが、その後、災厄除去を願う祇園信仰と結びついていきます。そして、櫛田神社の山笠神事として発展してきたわけです。
櫛田神社の相殿には祗園午頭天王が祀られています。これは、神道では素盞鳴尊になるそうです。
平安時代に始まった京都八坂神社の祇園御霊会で、旧暦6月15日に山鉾を立てて町中を巡幸しました。今の祇園祭です。
この祭りが全国に広まって、都市的な夏祭りの型が生まれました。博多祇園山笠もその一つなんですね。
古い文献には櫛田祇園社の祭りで沖ノ浜への神幸で、山のような造り物12台に人形を据えてかついだ、とあるそうです。
その後、博多をおさめた大内義隆が、周防の祇園会に博多の6本を分けて作らせたことで、博多の山笠は6本になったということだそうです。
祭りの代名詞にもなっている山笠
2種類ある山笠
祭りの主役を張るのが「山笠」です。これは、山車といいますが、車は付いていません。
昔は高さが15メートルになろうかというものもあったそうですが、明治になってからは、電線を避けて練り歩くために、低くなったそうです。
そういった町中を練り歩くための「舁き山笠」と、飾りとしての価値を目的につくられた高さのある「飾り山笠」に分けられるんですね。
どちらの山笠も「山」と呼ばれて、山大工と呼ばれる地元の大工が作ります。そして、博多の人形師が、その上にのせる人形を作るわけです。
舁き山笠は、祭りの間中、神輿のように町中を練り歩きます。博多祇園山笠は、現在8つある「流」というグループに属していて、その流ごとに舁き山を持っているそうです。
追い山笠
祭りの掉尾を飾るのは追い山笠とよばれる神事です。舁き山笠が午前1時半ごろから櫛田神社前の土居通りに順に並べられます。
舁き手が各流の町内ごとに集合してきます。午前4時59分、大太鼓の合図とともに一番山笠がドッと「櫛田入り」をします。
二番山笠は6分後、三番山笠以降は5分間隔の舁き出しでスタートして、そのまま須崎町の廻り止めをゴールにするのです。
博多祇園山笠のクライマックス
見逃せない櫛田入り
櫛田入りは、山笠の20数名の舁き手たちが全速力で櫛田神社に入ってきます。追い山笠では、順に櫛田神社の清道といわれる境内に山笠を舁き入れるわけです。
各山笠は清道旗を回って境内を出ます。そして、定められた5キロのコースに飛び出していきます。これを「櫛田入り」と呼んでいるんです。
距離にして、約112メートルを、各流とも精鋭で一気に駆け抜けます。最近は各流とも30秒前半で舁きます。正確を期すために、100分の1秒まで計測しているそうです。
鎮めの能
この追い山笠が済むと、午前6時から櫛田神社の能舞台で能が舞われます。境内には、のびやかな笛、鼓の音が漂います。
荒ぶる神を鎮める重要な儀式で、明治30年代までは、七流のうち一流が山笠行事を休んで奉仕したそうです。現在は神社総代会が担当しています。