大相撲の歴史
あまりに長い伝統のスポーツ
相撲は国技といわれています。その起源は、古事記や日本書紀にある力くらべの神話、「宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負」伝説だと言われています。(上の写真)
かつては、相撲はその年の農作物の収穫を占う祭りの中の儀式として、行われてきました。それが宮廷行事となって300年続くのです。
武士の時代になり、戦闘の訓練として相撲が行われます。織田信長は各地から力士を集めて上覧相撲を催して、勝ち抜いた者を家臣として召し抱えたといわれています。
江戸時代には、相撲を職業とする人たちが生まれ、全国で勧進相撲が行われるようになります。中期には定期的に相撲が興行されました。
このころ、有名な谷風、小野川、雷電の3大強豪力士が出現します。相撲の人気が急速に高まって、今日の大相撲の基礎が確立されたわけです。
横綱の土俵入りとは
大相撲らしさを象徴するイベント
純白の綱を腰に締めた横綱が一人で土俵入りし、四股やせり上がりなどを披露します。
横綱の土俵入りには“型”が存在し、名前も決まっています。「雲龍型(うんりゅうがた)」と「不知火型(しらぬいがた)」といいますが、みなさんは聞いたことがありますでしょうか。
名前の由来はそれぞれ10代目横綱の雲龍久吉(うんりゅうひさきち)と11代目横綱の不知火光右衛門(しらぬいみつえもん)が行っていた土俵入りの型からきているとされ、締める綱の形とせり上がりの方法が違うとされます。
雲龍型
攻防兼備を表し、左手を胸に当て右手を伸ばしながらせりあがります。綱の形は背中のど真ん中に大きい輪が一つです。
不知火型
攻撃を表し、両手を伸ばしながらせりあがります。綱の形は左右に輪が二つです。
型は代々一門が継承しているところもあれば、最近は横綱自身がしたい型を選ぶ傾向があるようです。
だいたいは雲龍型を選ぶ横綱が多く、大鵬や朝青龍、千代の富士など大横綱として名を馳せた横綱たちも雲龍型でした。
最近では稀勢の里も披露したことでやはり人気がうかがえます。不知火型の横綱は短命というイメージがつく中、白鵬が不知火型を盛り上げ、短命のジンクス払拭を成し遂げたといえるでしょう。
それぞれの違いを知って見てみよう
今回は横綱の土俵入りには雲龍型と不知火型の2つの型があることがわかりました。
雲龍型は一つの輪で人気の型なのですね。反対に不知火型は二つの輪で短命というジンクスがあるためか選ぶ横綱は少ない傾向にあります。
しかし、雲龍型よりも重く、迫力があるので白鵬を皮切りに人気が出るといいですが。
今後大相撲を観戦する際に注目できる点が増えたので、今までとは違う視点で楽しめそうですね。