お彼岸と墓参りの結びつき
仏教の世界観が背景に
お彼岸には、仏教の思想が関係しているといわれています。しかし、この風習はどうも日本だけの特殊な物のようです。
仏教では、太陽が登る方向である東が、私たちが生きている「現世」と考えます。そして、太陽が沈む方向の西を亡くなった故人の世界と考えるわけです。
そこから、この世とあの世との距離が最も近づく日がもっとも故人への想いが通じやすいと考えました。
その日が、太陽が真東から登り真西へ沈む日、すなわち、春分の日と秋分の日だったわけです。
極楽浄土は西の彼方にあると考えられていたので、春分の日と秋分の日は太陽が真西に沈むということから、極楽浄土の方角に日が沈む日だと考えたのです。
お彼岸にお墓参りをする意味
以上の理由から、春分の日は、あの世である彼岸とこの世である此岸の距離がが最も近づく日だといわれるようになりました。
そして、亡くなられたご先祖と現世にすむ人との距離が最も近づく日というふうに考えられてきたわけです。
それが、お彼岸にお墓参りをして先祖を供養して、故人を偲ぶという風習になっていったと考えられています。
お彼岸でおはぎやぼたもちを食べる意味は?
あずきのもつ、邪気を払う力
お彼岸におはぎを食べるという風習のもとは、あずきの持つある種のパワーから来ていると考えられています。
まず、あずきにはもともと邪気を払う、いうふうに伝えられてきました。日本では赤色には魔よけ効果があるとされてきたそうです。
その由来は、東洋思想の五行のようで、そこでは赤色はが火を表すといわれています。そんなことから、小豆粥を食べる習慣も生まれ、あずきを使ったおはぎお供えするようになったと言うことです。
また、砂糖やもち米は高価なものだったので、先祖を大切に思う気持ちが表れているともいわれています。
そして、あずきともち米を合わせることで、先祖と心を合わせるというふうな意味あいを込めて、おはぎを供えたそうです。
おはぎとぼたもちの名前の由来
名前だけでなく、中のあんも違う
最近は、春、秋どちらのお彼岸でもおはぎと言う名でもちが売られているようです。しかし、正確には春のお彼岸がぼたもち、秋のお彼岸がおはぎです。
どちらも正しいお供え物の名称なんです。そして、材料もよく似ている食べ物なのに、いったい呼び名がどうして違うのでしょうか。
じつは、どちらのもちも 季節の花の名前に由来しているんですね。ご存じの春が牡丹、秋が萩です。
その名に合わせて、春のぼたもちは牡丹の花に似せて、丸々した大きな形に作ります。そして、秋のおはぎは、萩の花の形に似せて、細長く小ぶりの俵形に仕上げます。
さらに、中に入れるあんこが違います。ぼたもちはこしあん、おはぎは粒あんなのですね。
小豆の収穫は秋です。秋のお彼岸に使うのは、収穫したての小豆なんです。獲れたてなので、皮も柔らかく、皮ごとつぶしてつぶあんにするのです。
ところが、春のお彼岸には、冬を越した小豆をつかうので、茹でた小豆を濾して皮を取りのぞいて、こしあんにしたという話です。
おはぎ、ぼたもち以外の名前
同じお餅で呼び名が変わるわけ
3月のお餅は牡丹からぼたもち、9月のお餅は萩からおはぎ。では、夏と冬はそのお餅は何と呼べばいいのでしょう。
じつは、言葉遊びにも近いのですが、こんなふうに呼ばれてきたそうです。夏は「夜船」、冬は「北窓」です。
夏に夜船
ぼたもちやおはぎは餅をつかないので、「餅なのにいつついたのかわからない」という言葉が「暗い闇夜に船がいつ着いたのかわからない」となって、「夜船」になったそうです。
冬に北窓
ぼたもちやおはぎは餅をつく必要がないので「つきを知らない」といことから北の向きでは月が見られないので、「月を知らない」となって、「北窓」になったそうです。