1823年のことです。当時のフットボールでは、まだボールを持って走ってもいいというルールはありませんでした。
ところが、ラグビー校でフットボールの試合中に起こったことが、歴史を変えます。
エリスという少年が突然、ボールを持って走り出して、一気にゴールまで駆け抜けたのです。これがラグビーの始まりだといわれています。
この記事ではラグビーの始まりのことから歴史、アメフトの誕生のことを紹介しています。
ラグビーの誕生
フットボールからの分岐
1863年10月26日、ロンドンで多くのパブリックスクールのOB達と、当時、Associationと云われていたメンバーと12のクラブの代表者が同席します。
そこで、フットボールの統一ルールを決める会議が行われたのです。そこで、クロスバーのないゴールの使用やラグビーのルールなども取り入れる案も提案されたそうです。
そこで、ラグビースタイルの支持者はボールを持って相手ゴールに向かって走れるとし、ボールを持って走っている選手のスネを蹴っても、足を引っかけても構わないとしたのです。
ところが、他のメンバーは、ボールを持って走ってはいけないとし、足をひっかけたり、スネを蹴るような行為は厳禁で、手を使うことも禁止するとしたわけです。
ついに、ラグビーフットボールと後にサッカーとも呼ばれるアソシエイション フットボールとの決定的な決別がなされたといわれています。
ラグビーからアメリカンフットボールへ
アメリカで生まれた、アメリカのスポーツ
ラグビーフットボールは英国で生まれ、世界中に広まっていくことになります。それは、アメリカにも広まっていきました。
1862年に、アメリカの先住民であるオネイダ族がボストンで最初のフットボールクラブ、「オネイダ フットボール クラブ」を創立しました。
このときにチームが行っていたフットボールは、サッカーとラグビーの良いところを取り入れて、ミックスしたようなものだったそうです。
そして、これが、後にボストンゲームとよばれるフットボールになっていったといわれています。
ボストン ゲームはボールを持って走る事が多かったので、これがアメリカンフットボールの始まりだという人もいます。しかし、まだサッカーの要素が多いものでした。
そして、1869年11月6日にラトガーズ大学とプリンストン大学が初のフットボールの大学対抗試合を行っています。
実際は、その2年前ににプリンストン大とプリンストン神学校との間で各25名づつの選手で練習試合を行っています。
このラトガーズ大とプリンストン大の試合が最初のアメリカン フットボールの試合と云う人が多いそうです。
ただ、使用されたボールも丸く、ルールもイングランドで行われていたサッカーのルールだったと言うことです。
しかし、現実にはアメリカで1969年に、アメリカンフットボールの誕生100周年記念の試合やセレモニーを行われているそうです。
アメリカンフットボールのルールの確立
あまりにも過激なゲーム結果
1873年にイエール大がイートンプレーヤーというイングランドのチームと11人で闘って勝利したそうです。
この試合を見た2人のプリンストン大学の選手が、大学に戻って、その試合の状況を説明しました。
そして、こんな面白いゲームはないから、是非このゲームに参加しようと他の部員を説得したそうです。
さらに、1876年にハーバァード、イエール、プリンストン、コロンビア大が新しいルール作りの会議が行っています。
これまでのルールとの最大の違いタッチダウン自体を得点として認めたこと、丸いゴムボールの代わりに楕円形の皮で覆われたボールを使用する事も決めたことです。
1880年になって1チームは11名となり、イエール大のキャンプがスクリメージ ラインとクォーターバックを提案をしました。
斬新なルールが次々と決められていくと同時に、サッカー、ラグビーと決別は決定的になり、アメリカ人によるアメリカンフットボールが生まれることになったわけです。
1882年には、ボールの所有をはっきりさせるために、3回の攻撃で5ヤード進まなかった場合、ボールの所有権が自動的に相手にわたるいうルールが提案されます。
その後、3回の攻撃で10ヤードというルールに変更されましたが、さらに現在は4回の攻撃で10ヤードというふうに変更されてきたわけです。
このことによって、ボールの所有が極めて明確になり、所有権がわからないサッカーやラグビーとの決定的な違いが誕生したわけです。
また、アメリカンフットボールでの死傷者が多く出たことから、プレーをもっとワイドオープンにして、相手とぶつかることを減らすために、前方へのパスを有効にしました。
この後もルールを発展させていき、スリリングで、面白い、現在のアメリカンフットボールが作られていくわけです。
アメリカの一番人気スポーツへ
これからもアメリカらしく
1920年、12チームでプロフットボールリーグのアメリカン プロフェッショナル フットボール アソシエイション=APFAが結成されました。
これがその2年後に、現在のNFL=ナショナル フットボール リーグに改称されたのです。
そして、1924年に大スターが登場します。イリノイ大のハーフバックの、レッド グレンジです。
彼は、第1Qの12分で一人で4タッチダウンをあげたそうです。しかもボールを持った回数は4回だけでした。ようするに一度持ったら全てゴールまで走ったというわけです。
彼のプロ入りがきっかけでプロフットボールにも多くのファンが集まり、同時にアメリカンフットボールがアメリカ人の最も熱狂するスポーツへと変身を遂げたわけです。