みなさん、太陽暦がなぜ決まったかご存知ですか。
詳しく調べると、結構無理やり、という感じが強いのが太陽暦で、その1月1日については、結構新しいということがわかってきます。
ただ、近世になって世界で暦を合わせることが必要になったので、やはり太陽暦に頼らざるを得ないのが現実みたいです。
この記事では、太陰暦と太陽暦の月の決め方の違いを紹介しています。
日本では当たり前のようにキリスト教から生まれた太陽暦を使っていますが、世界的にはヒジュラ暦といってイスラム教の暦もあるんですね。
1月1日はどうやって決まったのか?
日本人の常識からはずれた決まり方だった
太陰暦は月の動きから決めているので、天文学的にも十分納得できますが、太陽暦はどうも納得がいかない部分があったりします。
それは、1月1日の成り立ちが天文学的には意味がないんじゃない?ということなんですね。
ちなみに、太陰暦の1月1日は冬至の日の2回後の新月の日、ということになっています。
要するに、太陽の動きに月の動きをダイナミックに合わせていった、すばらしい暦だったと言えると思います。
古代ローマの暦にキリスト教を組み込んだ
「イースター」が1月1日を決めた
まさかと思う結末でした。やはり、キリスト教圏の国ではイースターは特別な日だったんですね。
このイースターの日を固定するために、春分の日を3月21日にする、という日本人からすれば、真逆の発想で日付は決まっていきました。
ちなみに、イースター=復活祭はキリスト教の行事として春分の次の満月の次の日曜日と決まっているのです。
したがって、春分の日を決めないと、復活祭の日も決まらない。これが一番問題だったという、まさに暦が後からついてきたとしか言いようのない話だったのです。
季節の変化だけは絶対基準
太陽の動きに合わせたのは合理的だった
たしかに、太陽の動きに合わせれば、春分の日と、秋分の日。さらに、冬至と夏至。この4つのは絶対です。
それに合わせて12ヵ月をきざめば、いちばんうまくいく、というのは誰でも思いつくんです。
しかし、現実にはそこを完全にクリアーした暦を作ることはなかなかできなかったわけです。
そういうことで、世界中にさまざまな暦が作られることになっていき、じつは、現在使っているグレゴリオ暦もその1つだったんですね。
ローマの暦も、昔は現在の3月から始まっていたそうです。それは、春分の日があるからでしょう。
1月が始まりになったのは、歴史としては新しいんですね。そして、それが新しい年を示すと決まったのも、ローマ皇帝がシーザーのときです。
なお、このことをきっかけに、7月がシーザーの誕生月だからという理由でジュリアス・シーザーの名に改められたと言うことです。Julyですね。
ちなみに、8月がAugustになったのも皇帝アウグスティヌスの名からきています。
一年の始まりはいつでもよかった
たぶんはじめは太陰暦的なスタート
これは推測ですが、太陽暦が初めて使われたローマでも最初は冬至のあたりに冬の月のはじまりを置いたようです。
しかし、復活祭の日程が春だったので、現実の一年の始まりは今の3月=Marchだったんです。というより、今の1月2月は冬だったので、暦はお休みという感じだったようです。
だから、名前もなかったこの2つの月に名前を付けたのは無理やりの部分があって、JanuaryとFebrulyの二つは読み方もちょっと違うのはその理由だそうです。
さらに、9月から12月の名前は元々の意味からやはり2ヵ月ずれています。これも、2ヵ月ずらしたことによるものです。
2月が28日のわけ
30日と31日の月の順もはっきり言って、無茶苦茶です。もともと、偶数月が30日になるように決めたそうです。
それを、ローマ皇帝アウグスティヌスが8月をむりやり31日にして、それで9,10,11月が入れ替わってしまったのが事実のようです。
2月は3月から始まる考え方から、残りの日を放り込んだのではないかと考えられています。閏年に29日になるのも、調整用の月だったと言うことですね。
したがって、一年の始まりは3月から、という痕跡が残っているのが、今の暦だと言うことです。