いつもネイルをしてもらいながら、自分もネイリストになってみたいと思った人もいるかもしれません。そこまで思わなくても、ネイリストになる人ってどんな人だろうと思ったことないですか。
実は、ネイリストは、ただ単に爪を飾っているだけではなく、色々と学ばないとできない仕事なんです。
なぜなら、人によって、爪の様子や好み、それぞれ違っていて、全ての人を満足させることは至難のわざなんですね。
この記事では、そんなネイリストが生まれたネイルアートの歴史から、現在の資格の取り方まで紹介しています。
この記事を読み終えたら、ネイルの仕組みがよくわかって、ネイルサロンに行くのが楽しくなるでしょう。
ネイルアートが普通のことに
今やネールアートを楽しむ時代
ここ数年、多くの人がネイルアートをするようになってきました。その技術も発展し続けていて、様々なデザインが楽しめるようになってきています。
ネイルアートを職業とする人が増え、各地のネイルサロンはとても活況を呈しているようです。
さて、そんなネイルアートなんですが、実はとっても古い歴史があるのだそうです。
古代に見られるネイルアート
手元を美しく見せたい
さかのぼること、紀元前3000年から4000年頃です。古代エジプトで発見された王族のミイラには、ヘナという植物性の染料が爪の着色に用いられていたことがわかっているそうです。
このとき、階級の高い人ほど真っ赤に近い色の着色を施していたようです。もちろん、あのクレオパトラもそうだったそうです。
ただ、この頃のネイルアートにあたる、爪の着色については、おしゃれというよりも呪術的な意味合いが濃かったといわれています。
また、中国でも唐の時代には、楊貴妃も爪を染めていたと言われています。この、中国の習慣が、平安時代になると、日本へ伝わってきたわけです。
日本のネイルアート
平安時代には、ホウセンカやほおずき、紅花といったもので爪に着色をしていたといわれています。
江戸時代になると、爪の着色は主に遊女たちのものになりました。原料になるホウセンカや爪に着色する行為を、爪紅=つまべにと呼んだそうです。
ヨーロッパのネイルアート
18世紀頃になると、ヨーロッパでは、上流階級の身だしなみやおしゃれとして使われるようになったそうです。
そして、現在のネイルアートのようなものが始まったと言われています。
ヨーロッパから日本へ
明治時代になると、日本にもフランスから爪磨きの技術が伝わってきました。それが、広く普及するのは、昭和に入ってからだそうです。
当時の爪磨きは、爪の着色よりも、爪を磨いて、ピカピカにすることでした。磨いた爪に色粉やクリームを刷り込み、ツヤのでるニスを塗ったそうです。
マニキュアの誕生から
ネイルアートが一般に普及へ
現在も使われているようなマニキュアが一般に出回ったのは、1923年からだといわれています。
もとになったのは、アメリカで発明された車の塗装用速乾性ラッカーです。これを応用したのが、マニキュアだったわけです。
語源は、ラテン語のマヌス=手とキュア=手入れがあわさった、手の手入れという言葉だといわれています。
ネイリストが誕生
ネイルアートが普及し始める
マニキュアの材料も工夫され、その後、ネイルエナメルやネイルラッカーというものが市販されるようになります。
アメリカではネイルアートの技術がどんどん進化していきます。1970年代頃には、ハリウッドのメイクアップアーティストによって、。スカルプチュア=人工爪が誕生します。
この後、美容業界では、アメリカのネイルの技術と商品が導入されます。80年代初頭には、ネイル技術を職業とする、マニキュアリストやネイルサロンといったものが誕生します。
1985年、日本ネイリスト協会が設立されます。そして、ネイルアートを施す人たちのことをネイリストと呼ぶようになったのです。
1990年代になると、芸能人たちのネイルアートが話題になり、そのことをきっかけにして、ネイルブームが到来することになります。
2000年になると、現在ネイルサロンで主流となっているジェルネイルが誕生しました。そこへエアブラシや3Dなどの技術も加わって、多くの女性から支持されているのです。