高級肉を食べたら、どうしてこんなに美味しいのか、不思議に思いませんか。
そんな中、みなさんは日本三大和牛の生産地って知っていますか??
また、黒毛和牛がなぜ人気があるのか、なぜ美味しいのか、不思議なことです。
この記事では、和牛が生み出された歴史と、日本三大和牛のことを紹介しています。
これを読むと、高級和牛が長い間の努力によって生み出されたことがよくわかりますね。
和牛は高級牛肉の代名詞
日本独特の事情で生産されてきた和牛
普段私たちが何気なく口にしている「和牛」とはどういうものでしょう。しっかり考えたことはありますか?
特に黒毛和牛と聞くと、美味しい、値段が高いといったイメージが定着しているように思います。
牛肉は縄文時代から食べられていた
家畜化は必然の流れ
昔は牛は野生で生活していて、牛は群れで生活し、強い雄牛がリーダーとなって群れを守っていたようです。
やがて仔牛が人に狩られて、家畜化されていきます。日本では縄文時代から弥生時代のころに家畜化が始まったと言われています。
さらに、弥生時代の貝塚からは牛や猪、鹿、野ウサギなどの肉を食べていたという出土例もあります。そのため、日本人はこのころから牛肉を食べていたのは間違いないようです。
日本書紀、続日本書記には、牛や馬などの肉を食べることを禁止するという令が出ているので、このことからも、牛肉が食べられていたことがわかります。
仏教によって広まった殺生禁止の考え
文明開化と牛肉解禁が本格的な和牛の歴史の始まり
仏教が日本に広まったことから戒律が殺生を禁じたため、牛は公には食用には用いられず、主に農耕や運搬などの役畜として飼育されてい他のです。
明治時代に、外国文化が入ってきて、都市部において牛肉の需要が高まります。明治33年には、農商務省がエアシャー種、ブラウン・スイス種、シンメンタール種などを輸入して和牛交配を始めています。
その立役者が、江戸末期から明治にかけて畜産家として活動した前田周助です。選んだ但馬牛の中から、特に優れた牛同士を近親交配しました。
これによって優秀な性質を持っている但馬牛が一つの系統になりました。そして改良を重ねた結果、昭和12年に「黒毛和種」という名称が認定されました。
現在登録されている黒毛和種の99、99%が兵庫県香美町の小代地区で飼育されていた但馬牛の種雄牛である「田尻号」が共通の祖先だと言われています。